序文

(紫式部、小野篁墓所)


序章

 羅貫中は「水滸伝」を書いた後、子孫三代に渡って口の聞けない子が続き、紫式部は「源氏物語」を著して一たび地獄に落ちたというが、これは嘘の話を真実とでっち上げて書いた業が、己の身に迫った為であろう。

『雨月妖魅堂』より引用


紫式部墓所

紫式部墓所 概観

紫式部墓所 案内1

紫式部墓所 案内2


紫式部墓所


小野篁墓所

(紫式部、小野篁墓所)

 雨月物語の序文に紫式部は「源氏物語」を書いたので地獄に落ちたという記述があります。
 鎌倉時代に成立した「今物語」や「宝物集」には紫式部が源氏物語という虚言を書いたために地獄に落ちたという話が残されており、秋成自身の「秋月記」にも雨月物語の序文のようなことがかかれてあります。また、歴史書の「今鏡」では大焦熱地獄に落ちたとかかれてあります。
 これは、仏教においての五戒で「不妄語戒(嘘をついてはならない)」という思想から、源氏物語という人々を惑わせた嘘をかいた紫式部が地獄に落ちたと考えられておりました。

 訳文に注目していただきたいのは「一たび地獄に落ちた」という部分。つまり、一度は地獄に落ちたが後にそこから這い上がることが出来た(極楽に行ったかどうかの記述までは現時点で確認できず。情報がございましたらご一報を!)と書かれてあります。
 たとえば「湖月抄」の付録「源氏表白」には安居院法印澄憲が紫式部を地獄から救うものであり、これを下敷きに能の「源氏供養」が作られました。

 紫式部の隣にある小野篁は小野小町の祖父と伝えられている人物です。篁の有名な伝説で昼は朝廷で働き、夜は冥府にて閻魔大王の手伝いをしていたとされています。その篁が閻魔大王と紫式部の間をとりなり、地獄から救ってあげたという伝説が残っております。
住所:京都市北区紫野西御所田町北大路堀川下る西側。島津製作所
交通:北大路堀川バス停近く


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